小松憲吾研究

序論

小松 (前半略)それに佐伯さんもあんな身体だから、急に死ぬこともあるわけじゃないですか。そうなったらどうするか考えなきゃいけないなっていうのはありますね。
――もし何かあったら、それも小松さんのところに来るわけですね。
小松 そうですね。佐伯さんからも「そりゃおまえになるわなあ」って言われました。いい加減な感じでね。「どうしたらいいの?」って話ですよね?
――確かに(笑)


kamipro Special 2010 NOVEMBER」P.48 小松憲吾氏インタビューより

日本の総合格闘技の中規模興行にはそれぞれ特色があります。各々の興行にとっての独自性、アイデンティティー、つまり差異を生んでいる部分、失ったら没個性化してしまう部分とはなんでしょうか?
修斗にとっては真剣勝負への希求(およびそれにより促された制度面の発展など“競技”としての歩み)。パンクラスにとっては名称そのもの(つまりU系含むプロレス団体との連なりや、また自身も新弟子(練習生、内弟子)制度を持つ“団体”である事など、ガチプロレスとしての歴史)。ZSTにとってはそのルール(真剣勝負の中でエンターテインメントを生み出す工夫とリングスの系譜にあることの象徴)。CAGE FORCEにとってはオクタゴン(ヒジありグラウンドキック無しのルール含め、対北米への意識)。では、DEEPにとっては何なのか?それは、佐伯繁個人のように思います。
もちろん、修斗における株式会社サステインの坂本一弘代表、パンクラスにおける株式会社パンクラス川村亮代表(坂本靖前代表)、ZSTにおけるZST事務局の上原譲代表、CAGE FORCEにおける株式会社ジーシーエムコニュニケーションの久保豊喜代表、それぞれも各興行でなくてはならない存在だと思います。
ただ、ルチャを呼んだり、PRIDEやDREAMと組んだり、真剣勝負の中にゆるい試合を組んだり(そして観客がそれを許す雰囲気を作ったり)といった、DEEPのDEEPらしさ、DEEPの特色である部分というのは、佐伯氏個人のキャラクターが生んでいると思いますし、その意味で、DEEPというのは、他の興行と比べて、そのの存続が代表個人に拠るところがより大きいのではないかと思います。その上、各興行のプロモータの中で生命が最も危ぶまれているのが佐伯氏というのが笑えない冗談です(笑)
では、佐伯氏に万が一の事態が起きたとき、後を継ぐと思われる佐伯氏の右腕・小松憲吾氏とはどんな人物なのでしょうか。

何に関わっているのか

そういうところもあったので稲垣組は小松社長という、いま『DEEP KICK』もやっている人間に売却したかたちですね。

「日本格闘技界のウラ・オモテ」P.189

総合格闘技&HIPHOP「REALRHYTHM」
DEEP事務局&リアルリズム事務局
2005年3月6日(日)大阪・ZeppOSAKA

・総合プロデューサー 佐伯繁、MAB
・格闘プロデューサー 小松憲吾

: 大阪で、後楽園ではないところで一発目というのは近年なかったことだと思いますが…。
■ 尾崎社長:そうですね。そんな深い意味はなかったんですけど(笑)。でも、気持ちとして年が明けて、一発目が大阪っていうのも雰囲気が変わりましたよね。気持ちがちょっと違ってきた。恐らく稲垣組の小松代表も、選手も年明け最初の興行が大阪っていうのが何か気持ちとしてあったんじゃないですか?だから、目つきが違っていたような気が僕はしましたね。逆に、長谷川がちょっと一人だけ負けちゃって、悔しそうに…一番最後にリングに上がるときに、涙ぐんでいた。アレを見ると、結構気合が入っていたんだと思うんですよ。稲垣組として。稲垣組っていうのが、パンクラスでもそうですけど、外でも成長しないといけないんじゃないかなって思っていると思うんですよ。それは(前田)吉朗がね、去年外で結果を出せなかったっていうのが、やっぱりあると思うんで。だからそういう意味では稲垣組が変わっていっていうか、新生稲垣組なのかもしれないけど、恐らくもっと出てくると思います。パンクラスの中でも。コスタリカでも。伊藤あすかなんていいんじゃないですか?女子の試合も結構『bodog』は盛んにやっていますから。小松代表と相談します。

http://www.pancrase.co.jp/tourarchive/2007/0204/itv2/ozaki.html

■[パンクラス][DEEP]パンクラス稲垣組オーナー問題(おおげさ)に決着!
http://d.hatena.ne.jp/mmanhb/20101101/p1

リンク記事と重複しますが、上記引用からもわかるとおり、小松氏はDEEP取締役として大阪のDEEP系大会に関わっており、一方で稲垣組代表としてパンクラスの大阪大会にも関わっているようです。
少し驚きましたが、考えてみれば当たり前の話でもあります。格闘技興行会社の商業規模で、地方に本社以外のオフィスを構える事は難しく(例外として、DEEP事務局は本社自体を名古屋においているみたいですが)、地方興行も現地のジム・道場等がプロモータを行っているところが多いです。普段東京にいるスタッフが何度も現地入りしていては交通費・宿泊費も馬鹿にならないし、任せる所は現地に任せないと意思決定も遅くなりますから、興行を打ちたい現地の人間がいれば任せるのは当然と言えるでしょう。

例として、プロ修斗では、名古屋大会(SHOOTO GIG CENTRAL)は鈴木陽一氏・ALIVE、北海道大会(SHOOTO GIG NORTH)はパラエストラ札幌出身の武田憲一氏・TTera(ダブルティーエラ)、大阪大会(BORDER)は直心会格闘技道場の小池孝典氏・T.Kプロモーションなど、現地のオフィシャルジム中心で行われています(形式的にはプロ修斗の興行を行うにはプロモータライセンスが必要なので、保持していない場合は、日本修斗協会パラエストラ、K's FACTORY等と共催)。GCM系では大阪のDEMOLITION WESTは和術慧舟會兵庫支部を中心に行われており、こちらも現地の系列道場。DEEPにはオフィシャルジムや系列の道場が全国にあるわけではありませんが、富山大会は福本吉記氏・クラブバーバリアン、名古屋大会は梅村寛氏・NEX-SPORTS、浜松大会は服部啓氏・HARD CONBATとIKGプロモーション(IKG伊藤興業)と、こちらも関係の深い現地の格闘技ジム関係者がプロモータとなって開催されています(詳しくはhttp://fightislands.jp/archives/51485912.html)。パンクラスも沖縄大会は当時、パンクラスREAL所属の砂辺光久選手が中心となり開催されました。
以上のように、東京をメインに活動している興行会社が、地方で興行を打つ際は、現地のプロモータにある程度委任して行う場合が多いように思います(逆に、地方のプロモータが東京の興行の看板を借りているとも言える)。
では、本題に戻ってパンクラスおよびDEEPの大阪大会がどのように行われているかと想像すると、パンクラスにはP's LAB大阪(パンクラス大阪、パンクラス大阪道場、パンクラス稲垣組)という系列道場があり、DEEPには現地在住の自社スタッフ(=小松氏)がいるわけですから、その利点を生かして興行を打とうとするのは当然の話です。このことから、P's LAB大阪オーナーであり、DEEP事務局取締役の小松氏は、パンクラスおよびDEEPの大阪大会に少なからず関与していても不思議ではないと考えられるわけです。
近畿地方で“継続して”行われている総合格闘技のプロ興行は、プロ修斗では上記のBORDERとサステイン主催のSHOOTO GIG WEST(券売とかみると、サステインと同じSTG(シューティングジム、修斗ジム)系列のシューティングジム大阪が運営にも関わってるんでしょうか?)、同じく上記のDEMOLITON WEST、インディペンデントのRISING ON(ライジングオン、旧POWER GATE)、そしてパンクラスとDEEPがあるので、小松氏は近畿地方の主要興行5つのうち2つに関与しているわけです。
また、同じく近畿地方で継続して行われている立ち技格闘技興行は、DEEP KICK、GCM VOLTAGE、ACCEL、MAキックの興行(T.Kプロモーション主催、KAKUMEI主管)、NKBの興行(大阪真門ジム主催)、シュートボクシング(ヤングシーザー杯)がありますが、年間興行数トップはDEEP KICKです。
パンクラスおよびDEEPのそれぞれの興行にどの程度まで関与しているかは定かではありませんが、このような経緯から、近畿地方のプロ格闘技興行において、小松氏は大きな影響力を持っているのでは、と推測してしまいます。

いつから関わったのか

年月日 出来事
2001年1月8日 DEEP旗揚げ(DEEP第一期スタート)
2001年3月 P'sLAB大阪開設
2002年3月 エア・サプライ来阪
2002年3月30日 DEEP 4th
2002年6月9日 DEEP 5th
2002年9月7日 DEEP 6th(DEEP第一期終了)
2002年12月8日 DEEP 7th(DEEP第二期スタート)
2003年3月4日 DEEP 8th
2003年5月5日 DEEP 9th
2003年6月25日 DEEP 10th
2003年7月13日 DEEP 11th
2003年9月15日 DEEP 12th(DEEP第二期終了)
2003年11月17日 エア・サプライ来阪
2004年1月22日 DEEP 13th(DEEP第三期スタート)


では、小松氏はいつから格闘技に関わるようになったのでしょうか?「kamipro Special 2010 NOVEMBER」の小松氏インタビューによると、P'sLAB大阪開設の際はボランティアで、DEEP旗揚げ当初は手が空いていたら手伝うというスタンスだったと振り返っています。その後、P'sLAB大阪のオーナーを引き継いだり、DEEP事務局の取締役になったりと本格的に関わるようになったきっかけは、「大失敗したDEEP6thの後、エア・サプライというバンドが来阪した際に相談されて」と語っています。
ただ、上記の表を見てもらってもわかるとおり、ネットで調べる限り、DEEP 6thの近い時期でエア・サプライが来日し大阪含む各地で公演をしたのは、DEEP 6thの6ヵ月前か、14ヵ月後ということになります。本格的に関わったのが2003年11月以降の話だとするとDEEP 6thから間に6大会も挟み、しかも「日本格闘技界のウラ・オモテ」によると佐伯氏はその6大会をDEEPの第二期として認識しているようで、小松氏は第二期の認識が丸々抜け落ちていることになってしまい、時系列的に少し矛盾を感じます。
これはネット上でヒットしないだけで、エア・サプライが2002年冬にも来日していたのかもしれないし、小松氏が少し思い違いをしているのかもしれません。どちらにしろ、2002年9月から1年数ヶ月の間に、P'sLAB大阪のオーナーを引き継ぎ、DEEP事務局の取締役になり、佐伯氏の右腕として格闘技界に本格的に関わり始めたという事は間違いなさそうです。

年表

最後に小松氏はどれだけの大会に関わったのかという点について、小松氏の業務の範囲というのが今ある情報だけでは正確にはわかりませんので、大なり小なり関わっていそうなものをとりあえず時系列に羅列してみます。その中には、関与の範囲がボランティア程度の場合もあれば、逆にパンクラスなら坂本氏(かつては尾崎允実氏)、DEEPなら佐伯氏が、東京開催の興行で行っているレベルの事まで権限と責任を与えられている場合もあるかもしれません。
2007年と2008年の年末に、それぞれ大阪と東京で行われたDEEP PROTECT IMPACTという興行がテレビ大阪にて地上波放送されています。今のご時勢、テレビ局側から格闘技を取り上げようとしたとは少々考えにくいので、小松氏がテレビ大阪に営業をかけて放送の機会を得たか、それとも大阪に拠点がある冠スポンサーの有限会社プロテクトを通じて放送の機会を得たかどちらであるか定かではないですが、地上波放送を獲得できる地元スポンサーを連れてくる営業力を小松氏は持っている、とは言えるのではないでしょうか。ちなみに寒川慶一選手のブログでは、DEEP KICKにおける小松氏の役割は「メディアや媒体関連」であると記されています。近畿圏のマスコミ・メディアには顔が売れているのかもしれません。

年月日 興行名 会場名 備考
2001年8月25日 PANCRASE 2001 PROOF TOUR 梅田ステラホール
2002年2月17日 PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 梅田ステラホール
2002年5月11日 PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 梅田ステラホール
2002年8月25日 PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 梅田ステラホール
2003年2月16日 PANCRASE 2003 HYBRID TOUR グランキューブ大阪
2003年6月22日 PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 梅田ステラホール
2003年7月13日 DEEP 11th IMPACT in OSAKA グランキューブ大阪
2003年10月4日 PANCRASE 2003 HYBRID TOUR グランキューブ大阪
2003年12月7日 clubDEEP 大阪 デルフィンアリーナ
2004年2月15日 PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 梅田ステラホール
2004年4月18日 DEEP 14th IMPACT in OSAKA 梅田ステラホール
2004年8月22日 PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 梅田ステラホール
2004年11月28日 clubDEEP 8th in OSAKA デルフィンアリーナ
2005年3月6日 REALRHYTHM Zepp OSAKA
2005年4月10日 PANCRASE 2005 SPIRAL TOUR 梅田ステラホール
2005年9月4日 PANCRASE 2005 SPIRAL TOUR 梅田ステラホール
2005年11月19日 REALRHYTHM 2nd STAGE Zepp Osaka
2005年12月23日 ダブルアール よみうり文化ホール
2006年2月19日 ダブルアール よみうり文化ホール
2006年3月4日 REALRHYTHM 3rd STAGE Zepp OSAKA
2006年3月19日 PANCRASE 2006 BLOW TOUR 梅田ステラホール
2006年4月29日 ダブルアール よみうり文化ホール
2006年7月30日 REALRHYTHM 4th Zepp Osaka
2006年10月1日 PANCRASE 2006 BLOW TOUR 梅田ステラホール
2006年11月18日 REALRHYTHM 5th STAGE Zepp OSAKA
2007年2月4日 PANCRASE 2007 RISING TOUR 梅田ステラホール
2007年2月10日 ダブルアール4th STAGE アゼリア大正ホール
2007年7月8日 DEEP 30 IMPACT Zepp Osaka
2007年9月30日 PANCRASE 2007 RISING TOUR 梅田ステラホール
2007年10月13日 clubDEEP 大阪 アゼリア大正ホール
2007年12月22日 DEEP PROTECT IMPACT in OSAKA 梅田ステラホール テレビ大阪で地上波放送
2008年5月25日 PANCRASE 2008 SHINING TOUR アゼリア大正ホール
2008年7月27日 DEEP 36 IMPACT Zepp Osaka
2008年9月7日 PANCRASE 2008 SHINING TOUR アゼリア大正ホール
2008年12月6日 ファイティングロード杯 ダブルインパク 大阪府立体育会館第2競技場
2008年12月22日 DEEP PROTECT IMPACT 2008 新宿FACE テレビ大阪で地上波放送
2009年6月7日 clubDEEP 大阪 アゼリア大正ホール
2009年7月5日 DEEP KICK 旗揚げ大会 Zepp Osaka
2009年8月30日 DEEP OSAKA IMPACT Zepp Osaka
2009年11月8日 PANCRASE 2009 CHANGING TOUR アゼリア大正ホール
2009年12月23日 DEEP KICK 2 大阪府立体育会館第2競技場
2010年1月24日 DEEP 45 IMPACT Zepp Osaka
2010年3月7日 CLUB DEEP KICK vol.1 神戸ウインターランド
2010年3月22日 PANCRASE 2010 PASSION TOUR アゼリア大正ホール
2010年4月4日 DEEP KICK 60キロ級関西最強決定トーナメント1 テクスピア大阪
2010年6月6日 DEEP CAGE IMPACT 2010 in OSAKA Zepp Osaka
2010年6月20日 CLUB DEEP KICK vol.2 アゼリア大正ホール
2010年7月4日 CLUB DEEP KICK vol.3 神戸ウインターランド
2010年8月8日 DEEP KICK 4 テクスピア大阪
2010年10月17日 CLUB DEEP KICK vol.4 神戸ウインターランド
2010年12月19日 PANCRASE 2010 PASSION TOUR アゼリア大正ホール

あとがき

正直こんなに長くなると思いませんでした……。しかも、雑誌と本1冊のわずかな記述とネットの情報だけから、想像して書いただけですから、小松氏の実際の格闘技界での働きからずれている可能性も大いにあります。より詳しい方がいたらぜひ教えて頂きたいし、雑誌でももっと取り上げるべき人物だと思います。
高島学が最近になって、ゴング格闘技やらファイト&ライフやらFIGHTISLANDSやらで、地方のプロモータを良く取り上げてるから、小松氏も取り上げて欲しいですね。地方の興行に興味があるなら取り上げて当然だと思いますが。